鳥とけものと親類たち

適当に書きます。

年の瀬

 

年の瀬がやってきた。

例年は推しが歌って踊る姿を目に焼き付けながら、その年に起きた万事に想いを馳せ、新年に期待を膨らませていた。

今年は卒業してしまって歌う姿を観ることができないので些か違和感がある。何かが足りない。心の底では寂寥の念がグツグツと煮込まれて白い湯気を昇らせている。その湯気を悲観的な気持ちで眺めていると何か幻のようなものが見えてきて肝を冷やすことがある。

 

新年の到来がその禍々しい火鍋をゴクリと飲み込んでくれることを願うばかりである。何せ私は年末年始大好き人間なのだ。どうかみんな笑顔で過ごしてほしい。きっと笑顔でいてくれるさ。それは私の希望でありながら、揺るぎない確信でもある。

 

1年を振り返る。様々なことがありすぎて詳細に語ることはできそうにない。ただ特筆すべきは、3月~9月までの記憶がほとんど無いのにもかかわらず、その期間が信じ難いほど長い時間に感じられることである。確かに3月~9月までは多忙を極めていた。しかし今やその日々の記憶は薄れ、もはやスクリーンに映るのは白い光とぼやけた参考書の活字だけである。私の体感ではそのぼったくり的ロードショーが四半世紀は続いた様に思われてならない。あれはなんだったのだろう。

やはり私のような地中を寝床とする生物には、何か季節の移ろいを知らせてくれる存在が必要なのだろう。2月に推しが卒業したことで時間の流れと共にいた存在がいなくなってしまった。その日から鳥のさえずりも聞こえない私は地中に取り残されクマのごとく冬眠状態に入ってしまったのである。四季の彩やかさを教えてくれたのは彼女たちだったのだと今になってわかる。

 

冬眠から目覚めたのは大学院試験が片付いた10月中頃であった。久しぶりに乃木坂工事中を観てみると5期生が腕を振るっていた。初々しい彼女たちに惹かれる部分はあったが、新しい波に流されることを極度に拒む私の中の天邪鬼な属性が、歩み寄る歩幅を狭めてしまった。しかし転機が突如としてやってきた。

 

やんわりと精神的疲労が蓄積していたのか、11月末頃から全身に力が入らず集中力も無く、どことなく悲観的な状態が数週間続いていた。12月のある日、この肩まで泥に浸かった状態から脱出する方法を思いついたのである。かくて私は新乃木坂スター誕生ライブを観ることになった。

 

結論を言うとスター誕生ライブを観たことで私の心身は溢れんばかりの生命力を取り戻した。そのとき私は5期生を初々しい新人ではなくプロフェッショナルとして見ることが適切であることを知ったのである。

 

そしてその生命力を維持したまま年の瀬を迎えることになった。乃木坂に救われ、少し時間が空き、また乃木坂に救われた1年であった。どうやら私は乃木坂46無しではまともに生きられないらしい。来年は乃木坂を見ていれば元気が出るというこの単純なバイオリズムを十分に活かしながら生きてみようではないか。

 

今年も1年お疲れ様でした。

来年も良き1年になりますように!